Golf My Wonderland

ゴルフエッセイ~見たこと読んだこと気づいたこと~気ままに書いています。

アマチュアはメンタルトレーニングにも関心を持とう!

 

    今期2勝の「勝みなみ」はメンタルトレーニングの効果という!!

       ではアマチュアはどのように取り入れたらよいか?

 

❖ プロの選手にとってメンタルトレーニングは、男女限らず欠かすことのできない

要素であると思うが、好調の勝みなみ選手がメンタルトレーニングに取り組むことによって今年の成績が向上しているとメディアは報じている。プロの選手は誰でも取り組んでいるものと思っていたので、あえてメンタルの効用を報じられるとびっくりする。

 

❖ 「ゴルフのメンタルトレーニング50のドリル」(ゴマブックス(株)2015年刊)という本がある。作新学院大学の笠原彰教授が一般向けに書いたほんだ。このなかに小田孔明片山晋呉池田勇太など、女性では酒井美紀成田美寿々、前田陽子らのメンタルトレーニングの事例が出ている。実際は多くのプロが実践しているに違いない。

 

❖ アマチュア・ゴルファーにとって、メンタルトレーニングをどのように取り入れて行ったらよいのだろうか。100を切りたい人、90を切りたい人、80を切りたい人では恐らく取り組み方がそれぞれ異なるであろう。日本のアマの大多数は100切りを目指す人という。ゴルフ雑誌「パーゴルフ」に‟教えて!100切り先生“という連載があるぐらいで、どの雑誌にもこのレベルのゴルファーへのアドバイス記事が多い。

 

❖ その意味では、上述の笠原彰教授の書籍が大いに参考となりように思う。内容をみると、基本的なメンタルテクニック、スコア安定のメンタルテクニック、調子が上がらない時のメンタルテクニック、など具体的に分かり易く書いてある。なかには、スコアが悪くなった時のメンタルテクニック、などもあって大いに勇気づけられる。

 

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❖ 90や80を切りたい人は上級クラスだから、メンタルトレーニングも一歩深くなる。ゴルフのテクニカルな面とメンタルの面が相互作用を起こす場面が多く登場するだけに、自分の心理的特色と制御するメンタルテクニックとのバランスなどが大事になる。上級になればなるほど複雑さを増すことになる。

 

❖ ゴルフ専門の心理学博士ジオ・バリアンテ著「タイガー・ウッズも震えている。」サブタイトルに「プレッシャーを楽しむためのゴルフ心理学」(ゴルフダイジェスト社/2006年刊)という本がある。タイガー・ウッズのメンタルトレーニングについて書いてあるわけではない。

 

❖ 内容は、PGAで活躍する(した)選手の事例を沢山取り入れて、ショットに降りかかるプレッシャーをどのようにコントロールしたらよいか、さまざまな視点からアドバイスをする一方、著者専門の心理学的な面から多く導き出している。また名選手のプレッシャーを乗り越した実例や自信をつけるドリルを具体例にそって説明している。上級者には非常に参考になる本であると思う。もしメンタルの面で悩んでいる人がいるとしたら、こうした本に目を通りてみるのも参考になるかも知れない。

令和元年の初勝利者‟勝みなみ”と「ギャラリーホール」というイベント企画について

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          カナソニックオープンレディスの初勝者“勝みなみ

 

初の「パナソニックオープンレディス」

優勝争いと覇者“勝みなみ”のチャレンジ姿勢! 

そして、LPGAでは初のラジオ風DJを登場させた

「ギャラリーホール」という企画を観て!

 

❖ 令和元年の初開催「パナソニックオープンレディス」(千葉・浜野ゴルフ

      クラブ)勝みなみのプレーオッフを制しての優勝で会場は大いに沸いた。

  観戦していて試合が非常にドラマチックな展開となり、ギャラリーを興奮し、

  生の試合が持ってる体感を得て、観戦する喜びを感じた次第である。

 

❖ 最終日のバックナインは、トップ〈-11〉から〈-9〉まで10人余がひし

  めく混戦状況で、最後まで目の離せない状況だった。

  この日は午後1時15分頃から雷雲が立ち込めてプレーが一時中止。回復した

  のはなんと2時間半後で、準備が整って再会したのは4時50分だった。

  全美貞が18番で先にバーディを取り〈-12〉、後続組の勝みなみも18番で

  何とかバーディで人は並んだ。しかしギャラリーはプレーオッフができるかどうか、心穏やかではなかった。

 

❖ 大会本部から、これからプレーオッフを始めるというアナウンスがあり、

  18番ホールでの決着た始まったのは6時20分を回っていた。テレビ中継は

  画面が明るく映るが、実際はかなり暗く、二人がティショットする情景は、

  日没寸前のお日様へ向かってショットするという光景だ。結果はロングホール

  2オンした勝のチャレンジ精神が勝利を引き寄せた。

 

❖ お日様は沈み、辺りの景色が暗く染まるように見えていた。表彰式はそれから

  で、大会本部も会場の浜野ゴルフクラブも気を揉んで、大会会長の挨拶も省き、

  優勝トロフィー授与とローアマホールインワンの表彰のみで表彰式を切り

  上げた。井上誠一設計の浜野ゴルフクラブは会場としてギャラリーも大会本部

      も選手にも評判がよく、来年開かれることを期待したい会場であった。

 

❖ もう一つ、今回の大会で話題となったのが「ギャラリーホール」というラジオ

  番組のように、パーソナリティがプレーしている選手の情報やゴルフにまつわ

  るさまざまな情報を紹介して会場を盛り上げようという新しい試みだ。

  9番ショートホールの設置されたギャラリースタンドに向け、今回はキャスタ

  ーアナウンサーの松下賢次東尾理子が担当した。

 

❖ LPGAでは今回が初めての試みという。(男子トーナメントのパナソニック

  オープンではすでに取り入れられている。)どんな風に展開されるのか、

  ギャラリー・サービスにどれほど貢献するのか、強い関心があったのでブログ

  氏も立ち会ってみた。

 

❖ DJタイムは選手がティーグラウンドに立ち、ショットするまでの時間と

  ショット後グリーンに登るまでの時間、そしてグリーンを去り、新たな組が

  ティ―グランドに来る時間である。ベテランアナウンサーの松下賢次と米国

  女子プロでも活躍しラジオ番組も経験している東尾理子のコンビだった。

  声の聴きやすさや話すテンポなどは息のあったコンビで、スムーズに流れて

  いた。大会2日目と最終日に実施され、新しい試みとしては、これからも継続

  してトーナメントに取り入れたい企画である。

 

❖ 敢えて一つ意見を言わせていただければ、元ラジオ番組のデレクター、プロデュ

  ーサーを経験したブログ氏にとって、心から面白かった、ユニークな企画であっ

  たとはなかなか言い難いという感想をもった。。話す内容がいい時もあれば

  どうでもいい話だったり、時には情報を提供する時間に話さなかったり、と

  内容にバランスが取れていなかったところが多かった。ギャラリーは満足した

  のだろうか。

 

❖ 果たして「ギャラリーホール」とう公開生ラジオ番組放送の制作として、まず

  感じるのは構成作家がいたのだろうか、また108人ものプロ選手の生きた

  情報を収集するスタッフがいたのか。パーソナリティのお二人にラジオ・パー

  ソナリティの経験があるということで、大会本部はお二人に任せっきりになって

  はいなかったか。番組づくりとはもっと緻密な構成の立てた番組づくりという

  ことを勉強すべきではなかったか。

 

❖ 盛り上がった点は、バーディを取った選手に変わってギャラリーに記念タオルを

  プレゼントする企画があり、DJよりも盛り上がった感じが強かった。今回の

  企画は最初だけに一般のギャラリーであろうとこの道のプロであろうと、

  聴いてなるほどなぁーという印象を抱かせるような「ギャラリーホール」イベン

  トの作り方がまずは必要たったのではないだろうか。こんな印象を強く感じた

  イベントではあった。

 

初登場の「パナソニック オープン レディース」初日を観戦。

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              初登場の「パナソニック オープン レディース」初日を観戦。

 

❖ 令和初の国内女子プロトーナメントになる「パナソニックオープンレディースゴルフトーナメント」は、今日53日から3日間開催でスタートした。会場は千葉県市原市にある浜野ゴルフクラブ。108人の各選手は五月晴れの好天に恵まれ、好調な出だしを展開した。

 

❖ 初日トップに躍り出たには、1イーグル5バーディ〔-7〕の鈴木愛、「今年初めての100点といっていい」(GDOニュース)と自己評価。2位に昨年プロテストに合格したばかりの稲見萌寧(19歳)が〔-6〕で、3位には〔-5〕で高木萌衣、永井花奈、ジョン・ジェウンの3人が続いた。このほか6位は〔-4〕で16人がひしめいている。その中に飛ばし屋葭葉ルミ、注目の渋野日向子、成田美寿々横峯さくらなどがひしめいている。

 

❖ 会場の浜野ゴルフクラブは名匠・井上誠一の設計で、雄大さと繊細さを兼ね備えたコース、起伏は比較的少ないが距離が〈6566ヤード・パー72〉と比較的長い。そしてグリーンが案外難しい。初日の選手はグリーン攻略で差が出ていたように思う。お天気が明日4日、最終日の5日ともに晴れの予想がでているので、スコアが伸びそうである。

 

❖ 初日のリーダー・ボードは日本女子プロゴルフ協会のHPを参考にされたい。

https://www.lpga.or.jp/tournament/leaderboard/20192031/1

 

❖ ギャラリー数も、ゴールデンウィークなので予想が付きづらかったが、結果的に集まってくれたようだ(大会本部からまだ発表はない)。青年から中年の男女が多く見かけた。

  蘇我駅の隣りの鎌取駅から会場まで無料のギャラリーバスが循環していて、時間も資料には30分とあったが、20分余で往復してくれていた。

 

❖ 明日からの見どころは、男子のパナソニックオープンで開催されているようだが、今回女子トーナメントでは初めての「ザ・ギャラリーホール」が開かれる。グリーン間近にギャラリースタンドを設置、グリーンDJ(今回は東尾理子)とともに声を出して盛り上げる新しい観戦スタイル、明日の2日目と最終日に、9番ホールパー3で開催される。新しい観戦方法なのでぜひ参加してみたいと思っている。

 


 

詩歌の好きなゴルファーには    ピッタリの本「ゴルフの歳時記」  舟橋栄吉 著

  Bookreview

       舟橋栄吉著 「ゴルフの歳時記」~玉すじの中にみた人生~

         出版:学校法人広池学園出版部 平成6年4月発行

 

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❖ 「夕月に尻つんむけて小田の雁~小林一茶 この句は、いみじくもバンカー・ショットの極意をわれわれに教えている。つまり、バンカーに入ったら、なにをおいてもまず、自分の尻の穴を砂につんむけるように構えをとれ――といっているのである。」これは著者の好きな俳句とゴルフを結び付けて書いた第6章「ゴルフの歳時記」からの引用であるが、ことほどさように、俳句の名作とゴルフを結び付けるというユニークな視点からゴルフ本を著している人を知らない。

 

❖ 著者は歌人であり作家、スポーツエッセイストとして若い時より活躍した人で、業界にはあまりみあたらないが、この人、ゴルフのほかのスポーツにも詳しく、若いころ野球のノンプロ球団に所属して活躍、その後ゴルフに一念発起し、クラブ選手権を始めアマチュアのシニア選手権などで大活躍している。後年は姪の舟橋由美子をプロに育てるという特異の人である。

 

❖ 本書は著者の活動分野の文芸分野と好きなゴルフ人生を結び付けた誠にユニークな、そして内容の深い作品になっていて、アマチュアゴルファーには非常に参考になる。また歌人として歌集を著しているほどで、文武両道の人だ。斎藤茂吉の歌や万葉の古歌、李白唐詩石川啄木の詩、俳句は芭蕉、蕪村、一茶はじめ名句名詩の数々がゴルフと結び付けられて登場する。文章も男らしくきびきびしていて、それでいて視点がこまやかである。

  

❖ 通読して、詩歌とゴルフの両分野に関心ある人にとっては、誠に楽しい内容といっていいのではなかろうか。プレーに真剣になりながらも、川面を彩る鳥類草木を楽しむあたり、心の余裕というか、プレーのみに捉われない姿が大いに参考となる。

 

❖ 著者はどんなことにも研究熱心とみえ、ゴルフ・ショットについての自己研究には他人を寄せ付けない。特に関心を引いたのは、著者が河川コースで研磨し実力を磨いたその追求で、河川コースの特色を細かに分析しているところが実に参考になる。たとえば、内陸部の林間コースは、耕地の黒土、山岳コースのそれは、客土と腐葉土の混合体、河川敷はコンクリートに等しい硬い粘土質で、コースの土質によってショットの内容が異なってくるという。

 

❖ 荒川の河川敷ゴルフ場は、押しなべて北から南へ風が吹き、芝目もその方向になびきやすい。そして土質はほとんどが砂や粘土の粒子が交じ合い堆積したもので、日照りが続くと固いコンクリートの状態になって、水分を土中に浸み込まない土質になるという。そのせいでショットは、クラブヘッドをスムーズに抜くのは難しくなるらしい。

 

❖ そうした土質あるいはそこに付着している湿度の状態などを、いちはやく見抜く眼力もゴルフの技術うちで、「ライ」とか「土質」を事前に観察することも河川コースから学ばせてくれることだという。この辺の河川コースの特色をさまざまな角度から観察している視点はこうしたコースのプレーヤーは大いに参考になると思う。

 

❖ 著者はこのほかにも「複眼のゴルフ」~全国の名門コースをそれぞれの地元の名手とプレーした記録や「ゴルフのため息」「ゴルフ10本」などゴルフエッセーをつづった書籍がある。大正8年熊谷生まれというから今年で100歳になろうか。ご健在であるかどうかは不明。彼を引き継いで、文武両道のゴルファーが多く現われ、われわれにゴルフの楽しさを多面的に描いてくれることを期待する。

 

 

 

 

 

現代のゴルフを描いた100年前の小説「21世紀のゴルフ」が面白い!!

Bookreview

 

   J.マックロウ著 復刻版「21世紀のゴルフ」(1892年出版)

       ~ 1892年に現代の社会が予言されていた ~

            翻訳者:福島敏太郎 発行所:旺文社(初版2000年)

                

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❖ われわれは100年前のゴルフ、あるいは150年前のゴルフがどのようなものであったを、さまざま資料から知ることができる。しかしこれから100年先のゴルフがどのような姿になっているかとなると、なかなか想像するのに困難がたちはだかる。

 

❖ J.マックロウ著「21世紀のゴルフ」は19世紀の終わりごろ、100年後の現代を予想して書かれた本というから、驚きとともに興味津々になる。当時としてはゴルフ未来小説であったろう。21世紀に住むわれわれの時代を描いているのだから・・・。

 

❖ 1890年前後のゴルフ世界はどんな様子だったかというと、イギリスにゴルフが普及しはじめ、ゴルフ場が1200ほど(1850年頃は24カ所だったというから50年で50倍になっている)、道具も大量生産の段階に入り、フェザーボールが全盛で、ゴルフ業界は技術革新の波が訪れていた。鉄道網の発達でゴルファーのゴルフ環境が激変した時代でもある。

 

❖ 全英オープン開催が1860年、アメリカでゴルフクラブが生れたのは1888年ニューヨーク郊外でのことという。近代ゴルフといわれる現在の基礎が作られた時代である。このことを分かって当著を読むと作家J.マックロウという人がゴルフのすべてに深い知識と先見の明を持っていたかが分かろうというものだ。

 

❖ 小説のスチュエ―ションは、1892年3月のある夜、根っからゴルフ好きを自認する主人公ジョン・ギブソンがひょんなことから人事不省に陥り眠りにつく。そして108年後の2000年3月の某日に蘇生する。108年の間、ゴルフの世界が激変を遂げているが、19世紀の人間が21世紀のゴルフをプレーするという設定だ。さて、主人公は現代ゴルフをどう受け止めるか・・・言い換えると、作者が100年後ゴルフをどのように想像していたか、ということになる。その想像力がとてつもなく面白い。

 

❖ 100年経ってしまった現在、作者が描いてみた100年後のゴルフの虚実を比較すると次のようになる。たとえば、キャディーは無人のゴルフカートがキャディーの役割を務めるという~これはすでに電動カートで実現している。画像収録ミラーを入れるによって中継が映し出されるという~これは1938年にBBCによってマッチプレーがテレビ中継されている。20人による南アフリカチームとスコットランドチームの対戦が話題となる。~これも実際にライダーカップダウンヒルカップなど国際試合で実現している。ここには触れるスペースがないが、まだまだいろいろの分野が描かれている。

 

❖ 21世紀を予想した様々なゴルフ事情は、今日考えるとかなりの部分が実現を見ているものも多い。作者J.マックロウの未来予測がいかに正確で創造力に長けていたか、驚かされる。巻末に「予言ハイライト」として小説に登場する予言(予測)一覧がまとめられていて、一つひとつ比較できるようになっている。訳者の配慮がうれしい。

 

❖ 本書のあとがき~訳し終えて~のところで、翻訳を担当した福島敏太郎はこう記している。「J.マックロウは彼の広い科学的知識には脱帽だが、翻訳している間、本当に108年も前にこれが書かれたのだろうかと、しばしば疑問を持った。それに加えて彼の優れた文章力だ・・・」といって巧みな表現を訳せなかったことをわびている。英語が達者な方は原文をお読みになるとさらに面白いに違いない。

 

❖ ゴルフの本をいろいろ漁って読んでいるなかで、時としてこうした愉快なゴルフ本に出会うことほどうれしいことはない。ついついブログで書きたくなってしまった。

ゴルフ界のレジェンド          杉原輝雄の命日によせて ! !

Golfessey         

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❖ 親しみを込めて“杉原輝雄さん”と呼ばせていただく。杉原さんは7年前の12月28日に74歳で亡くなられた。プロゴルファーとして通算63勝(国内5勝、海外1勝、シニア8勝、)の記録、最高齢レギュラーツアー予選通過者、数々のメジャー優勝、文部科学省からスポーツ功労者文部科学大臣顕彰など、輝かしい記録を残したゴルフ界の偉人である。

 

❖ 生涯現役を貫き、がんと闘いながら人間として不屈の人生を送った人である。亡くなって7年、杉原さんの人間として奥深い精神が、ゴルフ業界に留まらず、多くの人々を引き付けてやまない。命日に因んで、“自分の言葉”を持っていた杉原さんを振り返ってみたい。ゴルファーはもちろんのこと、一般の方々にも広く知ってもらいたい人である。

 

❖ 杉原さんは家庭が貧しかったため、幼いころから苦労した。キャディをしながら家計を助け、学校も義務教育しか受けられなかった。そうした環境をバネにしてプロゴルファーになる。しかし身長が162cmで、プロとしてはかなりのハンディキャップを負うことになった。こうした背景のなかで人生に立ち向かい、自ら作り上げた人物像は、いまでもその光を失うことなく輝いている。

 

❖ ある日前足しか利かない子猫を拾ってきて、家にいる犬の親子と一緒によく面倒をみていた。杉原さんの家庭ではその後かけがえのない絆が生れ、命の大切さを教えてくれる。この子猫の物語はライター今泉耕介の手によって「前足だけの白い猫マイ」としてドキュメント童話にまとめられ発表された。杉原さんの言葉「命を大切にすること」と「感謝を持って生きる」という信念の一端が作品になったものだ

 

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❖ 動物愛護団体の公益財団法人日本アニマルトラストは「ハッピーハウス」という動物の孤児院を運営しているが、あるキッカケがあって杉原さんはここの理事を務めることになった。東日本大震災の折りには、施設で200匹以上の犬猫を保護して、飼い主や新たな里親探しの活動を展開した。この時など杉原さんは、体調も良くない時期に差し掛かっていたにも関わらず、新聞や雑誌に声を掛け、多くの人に知ってもらう協力を熱心に行った。

 

❖ 杉原さんの心にある「生きていることの素晴らしさ」「生かされていることへの感謝の気持ち」そして「命の大切さ」「生きとし生けるものすべて、命の重さは同じである」という信念があり、生活のあらゆる行動に息づいていて、多くの人々の心に影響を与えて来た。

こうした人間の在り方の本質を生涯にわたって追及していった。まさに知行一致の人であったが、プロゴルファーとしての立ち居振る舞いも自己に厳しい姿勢を貫き通した。

 

❖ 日本でトップのアマチュアゴルファーが、杉原さんの練習風景を見て、これほどまで精根を詰めて練習をしなければプロゴルファーが務まらないものかと思い、その凄まじさにプロになるのを諦めてしまったというエピソードを聴いたことがある。1つ1つのショット練習にも真剣に取り組んだ姿勢は、周りの人達に強烈な迫力を持って伝わった。その杉原さんに前立腺がんが見つかったのは60歳の時だった。

 

❖ 生涯現役を誓っていた杉原さんは、手術するか避けるか、悩んだ末に手術を避けて、自分なりにがんとの戦う道を選びトーナメントに出場し続けた。2006年「つるやオープン」で68歳という最年長予選通過者の世界記録を樹立、2010年には「中日クラウンズ」で51年連続出場という世界記録(前年自分の記録)を更新した。

 

❖ 身長162cmという小柄な体で大きなプロと戦うには体力の増強しかなかった。杉原さんは60歳になった時、体力の衰えをカバーするために、「加圧トレーニング」を開始する。

このトレーニングは科学的に評価されたばかりの新たな方法で注目を集めていた。当時「加圧トレーニング」の施設は東京府中市にしかなかったので、杉原さんは毎週1回欠かさずに大阪から東京へ通って体力増強を図った。

 

❖ その年数14年間、がんが進行しても月1回は通った。その様子をNHK総合TVが放映したことがあるので。記憶されている人もいるだろう。14年間担当した専門トレーナーは杉原さんの強靭な姿勢にはただただ頭が下がる思いでいっぱいだったと言い、その後「加圧トレーニング」が全国普及したのはひとえに杉原さんのお蔭だと語っている。                                           

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❖ 杉原さんのゴルフ以外の生活にスポットライトを当てて、自己に厳しく人に優しい姿を、周りの人々の言葉で綴ってみたが、彼の人生を語る“生きた言葉”に触れるたび、あらためて人の生き方を教わるのである。「感謝の気持ちがあれば何事もつらくなくなる」「反省はしても後悔はしない」「ベストを尽くして結果は求めない」「本当に強い人は、ここぞという時に運を引き寄せる」こうした数々の言葉は、艱難辛苦と対峙して血肉となったもので、正しく魂の言葉に実っている。

 

❖ 杉原さんの魂の言葉に触れて、坂村真民の詩を思い出した。どこか根底の部分で通じているような気がする。「一途一心」という詩である。癒しと勇気を与えてくれる詩人として小学生から高齢者まで詠まれている坂村真民は、「念ずれば花開く」で多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、海外にまで建てられている。2006年97歳で亡くなった詩人である。   

 

   「一途一心」

     一途にいきているから 

                  星が飛び 花が燃え 

     天地が躍動するのだ 

     雲が跳び 草が歌い 

     石が唸るのだ

     一心に生きているから 

     この手が合わされ 憎しみを 

     愛に変えることができるのだ

     一途であれ 一心であれ

       (坂村真民詩集「二度とない人生だから」)

 

 

参考資料:「命ある限り」杉原輝雄記念館編著 (発行コスモ21/2012年)

     「杉原輝雄~魂の言葉」杉原輝雄著 (発行日本文芸社/2011年)

     「杉原輝雄100の言葉」~書斎のゴルフ:特別編集:ムック本

     (日本経済新聞出版社/2010年6月15日発行)ほか

    「二度とない人生だから」坂村真民著(発行サンマーク出版/1999年)

当記事は、日本ゴルフジャーナリスト協会(JGJA)ホームページに同時掲載して

います。

 

     

「短い鉛筆」南郷茂宏著      (日本文化出版刊/1989年)

     

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大正末期から昭和末期のゴルフの世界を生き生きと描写!

 

❖ 大正末期から昭和初期頃のゴルフの思い出や戦後(1945年以降)のゴルフ生活を通して、著者の心を過ぎったさまざまなエピソートをエッセイとしてまとめた好著。少年時代に接した赤星四郎・六郎の姿や戦後コース設計の第一人者となった井上誠一との交流の思い出など、ゴルフファンにとって大いに興味を抱かせるエッセイ集である。

 

❖ 著者:南郷茂宏は、雑誌「パーゴルフ」で今年の秋から連載中の「ゴルフを造った男たち」(小川朗取材レポート)に登場する関西の「垂水ゴルフ倶楽部」(前身「舞子カントリー倶楽部」)の創設に大きな力を発揮した実業家、南郷三郎の末子である。彼は東京育ちで、日本ゴルフの黎明期に大きな足跡を残した人々と交流が深かった人である。

 

 ❖ 著者は、現在のゴルフ場でゴルファーが世話になっている4人乗りのカートの発明者でもあるが、その当初、話を聴いた井上誠一が“このカートはいずれゴルフ場で使う時期が来るだろうから、それを見越して設計に取り入れなければ・・”といって応援してくれた。そして新たなものを発明する感性はコース設計に向いているといって設計の参考書としてロバート・ハンター著「リンクス」を渡してくれたという。

 

❖ 「開いてビックリしたのは、英文の周辺には、すき間のないほど井上さんの鉛筆書きでこまごま覚え書きがつづられていて、これを見ただけで大設計家の夢は消え失せてしまった」と記している。著者は井上誠一との交流が深かったようで、彼との思い出をいくつかつづっている。生きた井上誠一を知る上で貴重な資料のように思える。

 

❖ また本書には、エチケットやルールの話が多く登場する。著者は実業家の御曹司であっただけに若くして廣野ゴルフ倶楽部などいくつかの有名ゴルフ場のメンバーだったが、後年特によくプレーしたのは相模カントリーや湯河原カントリーで、クラブ役員をされてエチケットとルールには詳しい人だったようである。

 

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❖ 本書の魅力は、日本のゴルフが大正末期から昭和の始め頃に、土台がつくられた黎明期に活躍した人々と交流が多く、その時代の雰囲気とプレーヤーの立ち居振る舞いを書いているところに貴重さがあるように思う。それこそ生きた証言、とでもいえようか。井上誠一との交流のなかで、コース改造について話した内容は、現在のゴルフ関係者にとって貴重なアドバイスである。

 

❖ そのゴルフ場の改造に当たって「困るのは倶楽部での実力者がコース改造病にとりつかれている時だよ。ゴルフに熱中して二十、三十年、そろそろ腕前の方が年とともに限界がくる。仕事の方も功なり名を遂げて暇になる。そうなるとコースを変形してみたくなってくるんだ。彼が長年努力して重役になったと同じく、またはそれ以上の、この道への努力、そして才能が必要なことには気づかず、つい思いつきを口に出す。倶楽部でもそんなポストの人の構想となると止めにくい。ついにはそれが実現するんだから恐ろしい。おかげでせっかくのコースが滅茶苦茶にされてしまう」と。

 

❖ さらに付け加えて「コース改造をする際には絶対に気を付けねばならないことが三つある。まず、そのために隣接コースのプレーヤーに飛球の危険が及ばないこと。次にルール上の問題が生じないか否か。そして日当たり、水質、水位の高低など自然条件へのチェックだ」という。そういえば、最近はボールとクラブの進歩による飛距離とコースレイアウトが問題になる。コース改造にあたっては、クラブの役員は十分に注意されたい井上誠一のアドバイスといえるであろう。

 

❖ 本書は南郷茂宏が74歳の時の書作であるが、80歳を過ぎてもゴルフを楽しんでいると書いてあるので、1990年代後半まで元気だった様子である。大正、昭和、平成の3世代を生き抜き、ゴルフの変遷をしっかり見続けてきた1人のゴルファーの「短い鉛筆」は、筆先が上手く、リアルな現場を想像させてくれるとともに、貴重な我が国のゴルフの足跡を記録してくれている。