Golf My Wonderland

ゴルフエッセイ~見たこと読んだこと気づいたこと~気ままに書いています。

今年の全英オープン会場とアメリカゴルフ界との深い繋がり!

今年の「全英オープン」会場の“カーヌスティ・ゴルフ・リンクス”はアメリカ・ゴルフ界の基礎づくりに 貢献!

❖ 今年の全英オープンは終わった。イタリアのフランチェスコ・モリナリが優勝で幕を閉じた。7月23日の朝、目を擦りながらこのブログを書いている。成績20位以内にアメリカ勢が11人いる。なかでも大会を最も面白くしてくれた選手が、タイガー・ウッズジョーダン・スピース、サンダー・ショーフェレ、ザック・ジョンソンなどアメリカ勢だったことも大会記憶に残るだろう。

❖ 大会の余韻が残る時に、カヌースティ・G・Lとアメリカのゴルフの繋がりについて触れておきたい。それは何といってもイギリスで最も難しいコースといわれるこのゴルフ場、特に18番ホールは魔物が住んでいるといわれる。魔物の逸話は1999年の全英オープンでフランスのジャン・ヴァン・デ・ヴェルデが受けた過酷な仕打ちは歴史に残る逸話であった。今年のオープン中継でも解説者が何度も触れられていたからご存知の方の多いと思う。

❖ カヌ―スティ・G・Lは16世紀にすでにプレーされていた記録が残っているから誠に古い。時代が経過して、あの有名なトム・モリスの師匠であるアラン・ロバートソンが1840年頃、最初の10ホールを造ったというから大きく手を加えたのであろう。そして約30年後弟子のトム・モリスが18ホールに拡大したという。またその半世紀後、全英オープン優勝5回のジェームス・ブレードが改造して、現在の難コースに出来上がったようだ。本当に歴史あるゴルフ場である。

❖ ところで「ゴルフの聖地」といえばセント・アンドリュース、ではカヌースティは何と言われているか。大塚和徳著「世界ゴルフ見聞録」によると、「ゴルフ宣教師の故郷」というらしい。1776年はアメリカ独立宣言、そして南北戦争は1861年から65年まで。この頃のアメリカの社会には、世界の多くの移民によってさまざまな分野に文化の栄える環境が出来ていた時代、ゴルフ場が各州で作れ、多くのゴルファーが生れていった創成期のアメリカのゴルフ界はある意味で活気が生まれて行った時代であった。

❖ スコットランドのゴルフプレーヤーがアメリカを目指すごとが憧れの時代でもあった。南北戦争終了後15年ほどにスコットランドのプロゴルファーがアメリカの地を踏んでいる。19世紀末から20世紀初頭にかけて300人を超えるゴルファーが海を渡り、各地に飛んで指導して行った。すべての州で「チャンピオンはカヌースティ出身者」と言われたほどであったという。アメリカのゴルフ界の基礎はスコットランド出身者によって基礎が作ったようだ。

❖ ゴルフ界初のグランドスラムを達成したボビー・ジョーンズはその名著「ダウン・ザ・フェアウェイ」の中にこう記している。彼がゴルフに夢中になりだしたころ、「わがゴルフ人生において、スチュアート・メイドンがスコットランドからやってきて、イースト・レイクのクラブ・プロになったことほど幸運はなかった」と。イーストレイク・ゴルフ場はボビー・ジョーンズのホームコースだ。こうも書いている。「カヌースティはこれまでに都合5人のプロをイースト・レイク・クラブに送ってくれている。」

❖ カヌースティが「ゴルフ宣教師の故郷」という言われる所以が分かろうというもの。この地では新大陸への憧れが大きな夢だったようで、10番ホールのニックネームは俗称「サウス・アメリカ」と言われている。新天地を夢見た若者が出発前夜の送別会で酔い、10番グリーンの脇で眠ってしまい、翌日のアメリカ行き客船に乗り遅れ、夢は消え失せてしまったという。その逸話を記しているのだ。

❖ こう見てくるとアメリカのゴルフ界とカヌースティ・G・Lは、歴史的なつながりで結ばれていることがわかる。今年の全英オープンアメリカのゴルファーが大活躍した。カヌースティの歴史に刻まれたアメリカとのつながりを思う時、カヌースティに住む市民たちの喜びは、我々日本人には想像できない深いものがあるに違いないと感じている。


参考資料 (1)「世界ゴルフ見聞録」大塚和徳著/日本経済新聞社出版社/2008年刊 (2)「ダウン・ザ・フェアウェイ」ボビー・ジョーンズ(菊谷匡祐訳)GD社/2011年刊 (3)なお、写真はテレビ朝日「ジ・オープン」番組中継より