Golf My Wonderland

ゴルフエッセイ~見たこと読んだこと気づいたこと~気ままに書いています。

昔スコットランドに杉原輝雄プロの“そっくりさん”がいたという


           写真はスコットランドのリンクス風景

スコットランドに、杉原輝雄プロの“そっくりさん”がいたという!?

❖ 当ブログの前々回、杉原輝雄プロのゴルフ箴言集の触りを紹介したが、夏坂健の書籍を読んでいたら、表題の人物を発見した経緯を書いていてビックリした。こんな書き方だ。「世の中には『そっくりさん』が3人いるといわれるが、時代こそ違え、まるで一卵性双生児と思えるほど酷似する人物が大阪とスコットランドに出現すたことは、一体いかなる運命の妙なのであろうか。本当に不思議でならない。」

❖ ベン、その名は「練習の虫」と呼ばれた名物プロ、ベン・セーヤーズという人である1880年ごろから活躍した人物だ。夏坂健著「されどゴルフ」から紹介しよう。この人はクラブ作りの世界で名を成した人、現在でもクラブ売買がネット上に登場する。プレーの方は全英オープン出場の常連だったようで、1880年とその翌年に3位入賞、その後7位に入ったこともあるというから、プレーヤーとしても並々ならぬ技を身に付けていた人物である。

❖ ベンの身長は5フート4インチ、162センチで杉原と同じ。体重は58キロでこれまた両者同じ。いわゆるプロの世界では非力を克服せねばならない課題も同じであった。ベン曰く「ゴルフではグリーンの全景が見わたせる場所から本当のゲームが始まるのだ。そしてパッティング、勝てるチャンスはここにある。」

❖ ベンに会いたければ、ためらわず練習グリーンに行ってみるがよい。景色の一部みたいに立ちすくんで黙ったボールを弾いているのが彼だ」とゴルフ史家D・レイは書いているという。実際ベンは終日アプローチとパットの練習に没頭し、パターは肌身離さず携帯していた。残された写真からは、パターでは杉原輝雄のスタイルと、そしてドライバーのフォームも、長尺を使っていた点も酷似しているというから驚かずにはいられない。

❖ ベンの生き方は杉原の言霊に通ずる。「凡人にできることは努力しかない」「何事も気迫を込めて立ち向かえ」「練習は裏切らない」「ゴルフに引退はなし 死ぬまで現役」。杉原の言葉通り、ベンは生き抜いた。少しでも距離を稼ぐために長尺ドライバーを開発し、46インチまで伸ばしものにする。杉原の先にベンがいたのである。

❖ ベンは競技ゴルフを引退するとクラブづくりに専念する。そして当時として始めて、ヘッドが肉厚の大きなウッドクラブを作り、革命的なヘッドを世に送り出した。実は我々が現在使っている肉厚のヘッドはベンの考案したものが原型になっている。1890年頃から傑作なドライバーを作り出し、1925年頃にはクラブ作りの名人と呼ばれるようになっていた。

❖ ベンはクラブ作りで高収入を得るようになってからも練習に明け暮れた。現役を離れた彼の腕前は少しも衰えず、こういうエピソードが残っている。1905年当時飛ぶ鳥を落とす勢いのジェームス・ブレードとエキジェビション・マッチを行ない、見事最小パット数の記録を残し勝利したという。この年はジェームス・ブレードが全英オープンを制した年でもある。(ジェームスは近代ゴルフ3巨人の1人、全英オープンを5勝している。)

❖ ベンは50歳を過ぎてもパットは「芸術的に美しい」と称賛され、46インチの長尺ドラーバーで大きなボールを飛ばしたいたというから、その執念たるや杉原を見る思いがする。夏坂健は最後にこう記している。「なにからないまでそっくりすぎて、いまふうに言えば杉原プロの「前世」について考えてしまうほど二人には共通点が多いのである。こんな不思議ってあるだろうか」と。

参考資料:「されどゴルフ」夏坂健著 幻冬舎文庫(1997年刊)/
杉原輝雄ゴルフ上達100の言葉」書斎のゴルフ特別編集号 日本経済新聞出版社
(2010年6月15日刊)/ほか  
写真:日本経済新聞2018.7.31号 「ゴルフの原点に触れる旅」山口信吾記事より