Golf My Wonderland

ゴルフエッセイ~見たこと読んだこと気づいたこと~気ままに書いています。

モボモガ時代の昭和天皇(当時皇太子)とゴルフ ‼

モボモガ時代の昭和天皇とゴルフ !!

❖ 「昭和の日」に因んで、前回は「昭和天皇と皇室外交」という題でつづってみた。今回は、天皇がどんな風にゴルフを楽しんだのか、いろいろな記録から拾ってみたい。昭和天皇がゴルフを始められたのは大正6年、16歳というから、日本のゴルフ界の黎明期にあたる。その意味でも日本のゴルフ史に残る貴重な活きた資料である。

❖ さて、昭和天皇がゴルフを始められた経緯は「昭和天皇とゴルフ」(田代靖尚著)によるとこうである。「皇太子(昭和天皇)がゴルフクラブを初めて手にしたのは、大正6年(1917年)の1学期が終わり、夏休みに入ったころではなかろうか。「日本ゴルフ史」(昭和5年出版)の巻末に次のように載っている。『聖上殿下(当時の皇太子)高輪御殿ゴルフをお初め遊ばす』」と。

❖ そして初ラウンドは、上記の大正6年8月19日東京朝日新聞記事にこう書かれている。「東宮(皇太子)ご遊戯、東宮殿下には18日午前8時、宮ノ下御用邸ご出門、お車で箱根の仙石原村なるゴルフ、コート(ママ)に行啓。ご学友をお相手にゴルフのご遊戯あり。午後4時ご機嫌麗しくご帰邸相なりたり」。仙石原村のゴルフとあるのは富士屋ホテル(写真)の仙石ゴルフコースのことである。

❖ ところで初ラウンドは夏休み期間中、宮ノ下御用邸に滞在した時で、ご一緒にプレーしたのは「ご学友をお相手にゴルフ」とは高輪ご学問所の学友(華族の子弟)であったようだ。機会のある時は秩父宮高松宮両殿下も一緒にプレーすることがあったという。夏休み期間中は沼津御用邸の近く、田子の浦に造成された砂山運動場という砂浜のリンクスでの練習というから、当時の皇太子がいかに夢中になっていたか、ご様子が伺える。

❖ また昭和天皇(当時は皇太子)は、大正天皇がご病気だったため、20歳で摂政に就任し摂政宮となり、多忙の日々を過ごされていた。そのなかで、心身ともにゴルフをかけがえのない友とされていたようで、その様子を知ると本当に驚かされる。まず天皇(皇太子時代を含む)の専用ゴルフコースが4カ所ほど造営されたほどである。

❖ 1つは新宿御苑9ホール(1922年=大正11年)、赤坂離宮東宮御所)6ホール(1925年=大正14年)、那須御用邸9ホール(1926年=大正15年)そして皇居の吹上御所に9ホール(1926年=昭和2年)である。吹上御所は最初4ホール、その後順次9ホールまで広がった。この時期のお歳は21歳〜25歳である。

❖ 当時の社会環境は、1922年に大規模な平和記念東京博覧会開催、1923年は関東大震災、1924年には天皇(当時皇太子/摂政宮)久邇宮良子とご婚礼、内閣が1年ごとに総辞職、1925年大正天皇崩御され昭和を迎える。この時代の社会的文化的な雰囲気を「大正ロマン」「大正モダン」などと言われて、文化人には個人主義・理想主義が強く意識されるようになり、「モボ(モダンボーイ」」「モガ(モダンガール)」の大流行もあった。

❖ こうしてみてくると、昭和天皇は皇太子時代からゴルフを愛され、皇后(当時皇太子妃)や周囲の方々にも進められて、よくコンペティションを開かれたご様子で、日本のゴルフ史に大きな足跡を残されていることがわかる。時代は支那事変から太平洋戦争へと突き進んで行き、天皇もやがてゴルフをしなくなってしまう。

❖ 歴史を戻すわけには行かないが、願わくは戦後も昭和の時代が続いたことを考えると、天皇はじめ皇室にゴルフが継続され、戦後のゴルフブームにクラブを握ったお姿を拝見したかったという思いが沸いてくる。日本オープンゴルフ選手権や日本女子オープンゴルフ選手権などの競技に天皇と皇后がご臨席されるといったことがあったら、またゴルフ界も変わっていたかもしれない。昭和天皇が戦後もゴルフをされていたら、皆さんはどのように思われますか。


参考資料:「昭和天皇のゴルフ」(田代靖尚著)、「ゴルフ夜話」摂津茂和著、
「日本ゴルフ100年」(久保田誠一著)ほか。





昭和天皇のゴルフと皇室外交‼

「昭和の日」に因んで !!
〜 昭和天皇のゴルフと皇室外交 〜

❖ 「昭和の日」が近づいてきた。4月29日は昭和天皇の誕生日で休日であったが、崩御されて以降は「みどりの日」となり、「昭和の日」へと変わってきた。昭和時代に青春を謳歌された方には記念日として相応しいように思う。今生天皇が退位されると元号が代り、新しい時代に入る。どんな元号になるのだろうか。

❖ スポーツでいうと、平成天皇は道子妃殿下とテニスを通じて知り合ったことは有名で、平成天皇=テニスというイメージ、昭和天皇は激動の時代を過ごされたので、スポーツのイメージはすぐに浮かばぬが、やはり“ゴルフ”ということになろう。そして2019年5月に天皇になられる現皇太子はスポーツというより、ビオラを奏されるので音楽=文化面に視線が行かれるかもしれない。

❖ 昭和天皇がゴルフ好きだったことは有名な話で、ゴルフファンにとっては嬉しいエピソードが沢山ある。そこで、昭和天皇がどれだけ“ゴルフ”に魅了されたかをゴルフファンが知ることも、ゴルフの楽しみだと思うので、少々触れてみたいと思う。

❖ 昭和天皇が“ゴルフ”と巡り合ったのは早くも16歳ごろだったらしい。クラブを握り、コースでプレーしたという記録が残っている。後にご成婚されてからは良子妃に手ほどきをされ、新婚旅行にはクラブを持参するほどの肩の入れようで、二人が主宰する宮中ゴルフ会を度々開かれたというから並み並みならぬ執着があったようである。

❖ また昭和天皇は、宮廷外交の一環としてゴルフを取りいれていて、日本ゴルフ史に残る大きな足跡を残している。これは特質すべき出来事といえよう。1922年日英同盟存続か否かの重要な時期に、東京は駒沢の東京ゴルフ倶楽部で、日英両皇太子による世紀のマッチプレーが繰り広げられた。

❖ このマッチプレーが日本ゴルフの黎明期を飾る出来事の1つであり、ゴルフの皇室外交として、国家を背負った外交であったことは、我々ゴルフファンとして記憶しておきたい。それは1922年4月19日、来日中の英国エドワード殿下(プリンス・オブ・ウェールズ)、ハルゼー侍従と裕仁殿下、大谷光明(日本ゴルフの父)の組み合わせで対決、1点差でエドワード組が勝利したと記録にある。1点差で相手に花を持たせるあたり、外交を心得た姿勢に感心する。

❖ この皇室外交の役割としてエドワード殿下(後のウィンザー公)の回顧録に次のような言葉が残されている。「私の日本訪問は、プリンス・ヒロヒトとのゴルフのために一層深いものになった。これはマルコ・ポーロ以来の最も注目すべき東洋と西洋との出会いの1つであったことは間違いない。ヒロヒトからのゴルフの誘いに私も喜んで応じた」と。

❖ 現在の皇室で、昭和天皇のようなゴルフを愛し、外交にまで結びつける様子は伺えないが、我々ゴルフを愛するものにとって、ゴルフの高潔にして哲学性の深いスポーツを、皇室に広まってもらうことを期待したいものである。

❖ 昭和天皇はゴルフに関して次のような言葉を残している。「ゴルフは運動として最も適切なものである。それには心を鎮め、精神を纏める効果があり、禅に虚無という言葉あると聞いているが、その意味に近きものではないかと考える。」天皇がゴルフに親しみ、愛し続けたからこそ、ゴルフに込められた深みを、身に付けられたのであろう。(写真は「昭和天皇のゴルフ」田代靖尚著より)





100年前ゴルフ、その技術と奥深さは現代に通じる力がある!!

100年前のゴルフ、
その技術と奥深さは現代に通じる力がある!!

❖ 長年ゴルフに親しんでくるとある生活のパターンができあがる。プレーできない日にはゴルフの本を読むという習慣だ。読んだ数も結構溜まってくると技術書ばかりではなく、歴史やコースあるいは古書を読む機会が増えてくる。そんな読書との付き合い方をしていると、ある感慨が沸いてくることがある。
  
❖ 100年前あるいはそれ以上の年代のプレーヤーが書いたり話したりしている言葉に、現代の技術やゴルフのもつ奥深さに共通していることが何と多いことか。言い換えると100年やその前のゴルフが現代のゴルフにそのまま通用することが山ほどあって、ゴルフというスポーツの技術と精神はすでにこの頃出来上がっていたのかと感心することが多い。

 ❖ トム・モリスといえば、セントアンドリュースをこよなく愛し、オールドコースに人生を捧げたゴルフ界の神様的存在、彼は全英オープン(1860年)の開祖といわれる伝説的人物で、全英オープン優勝の最年長記録(46歳)を今でも 保持している。そればかりではなくクラブ製作者、グリーンキーパー、ボール製作者、コースデザイナーでもあったという。

❖ 彼はよいクラブの条件として、「信頼できる職人の手によるもの(現代でいえば、メーカーだ)」「クラブを握って 構えた時、フィーリングがぴったり合うこと、クラブ全体、特に顔が気に入ること」「クラブが重すぎず軽すぎず」といっている。また彼自身が注文を受けた時は「クラブを使う人の年齢、その人のレベル、身長、体重、両手の握力、運動歴、ヒッターかスインガーか、クラブを握ってもらう、主に、プレーするコースの性格、起伏、気象条件、といったことを訪ねなければ大事なクラブは造れない」と言っている。当時のクラブは職人の手づくりによるものだ。

❖ 当時のクラブはウッドもアイアンもヒッコリーシャフト、アイアンのヘッドは鍛鋼製のもの。ボールは鳥の羽を詰めた革張りボール=フェザーボール。トム・モリスも専門職人の一人でクラブを造っていた。上述のよいクラブの条件として挙げたそれぞれの項目は、何と現代にそっくりそのまま通用するではないか。

❖ ことほど左様に、スイング技術にしても基本なるものがゴルフに関わるさまざまなことが出来上がっていたと思える。150年も前のことであるから驚く。またゴルフの奥深さについては、スコットランドの古い諺に「ゴルフは行儀が第一である」というのがある。ゴルフにはエチケットとマナーがルールと同じぐらい大切なことで、その後生まれたルールブックには、ルールに優先して第1章にエチケットが書かれていることはご存知の通りである。かつて活躍したさまざまなプレーヤー、コース設計家、評論家が貴重な文言を残している。

 ❖ ヘンリー・ロングハースト(909年生まれ)という英国のゴルフ評論家がいた。ケンブリッジ大学ゴルフ主将を務めた経験もある人だが、彼はこんな言葉を残している「ゴルフをみればみるほど、私は人生を思う。いや人生を見れば見る程、私はゴルフを思う」と。ジョン・H・テーラー(1871年生まれ)は「ゴルフを単なる娯楽と見なすものには、ゴルフはいつまでも解き難い謎となるだろう」とも言っている。

❖ 「ゴルフは人生行路の縮図のごとし」と捉えたゴルフ研究家摂津茂和(1899年生まれ)はこう言っている。「ゴルフは山あり、谷あり、水あり、これに幾多の障害物を配置した波乱に富むゴルフ・コースも人生行路に似ていれば、また一個の小球に自分の運命を託して困難と戦い、悪運を耐え忍び、一喜一憂を重ねながら最後のホールに辿り着くプレー自体も、まさに七転八倒の人生さながらである」と。ゴルフを長年やっている読者には同じ感慨を覚える人も多いに違いない。ゴルフの奥行きが生まれてくる所以である。(上述掲載写真は摂津茂和著「ゴルフ史話」より)





さぁ〜「マスターズ」開催! あのコースはなぜあれほど美しいのか

さぁ〜「マスターズ」開催! 
あのコースはなぜあれほど美しいのか?

❖ 「マスターズ」の中継を見ていて思うのは、ゴルフコースが本当に美しいこと。どうしてあんなに美しいのか。美人に対してなぜ美しいの? と質問するようで恥ずかしい思いだが、調べ甲斐はあると思ったので、当たってみた。

❖ 1972年から40年間、TBSのマスターズ中継を担当したゴルフジャーナリスト、岩田禎夫氏(2016年没)の著作の「マスターズ〜栄光と喝采の日々」(2012年刊)があり、そのなかで、紹介されている部分があるので、参考にして紹介しよう。

❖ その美しさは、空の青さと芝の緑とバンカーの白さが彩なす見事なもので、ゴルフファンならずとも感心するに違いない。会場には行ったことはないが、会場でみると、テレビより鮮やかさ、迫力、感動といったものが込み上げてくるのだろうなぁと思う。

❖ オーガスタの位置は福岡と同じ位置というから、亜熱帯で日本同様高温多湿。したがって樹木や芝の緑は青々としているし、特にホテトチップスのようなグリーンの色は 特に美しい。

❖ オーガスタ・N・GCはグリーンの芝でかなり苦労した歴史を歩んだようで、悩んだ末にバーミューダにティフトンを混合するなど努力してきたが、冬の間に芝根の強いポアナが蔓延るようになり、グリーンが遅くなってメンバーからの不満や雑誌の評判も良くなく、1981年からベントグリーンに張り替えたそうである。

❖ このベント芝は当時のクラブ会長の持つ芝種研究所で、暑さに強い新品種が開発されたものを採用。ペンクロス・クリーピング・ベントという名の芝という。こうしてあのガラスの上をボールが転がるような高速グリーンに仕立てていったのだろう。

❖ 真っ白なバンカーの砂はどこから運んできたのか。岩田禎夫は「ノース・カロライナ州から運んだもの。粒子が細かくてボールがいわゆる“目玉”になりやすいタイプの真っ白な砂である。・・・あまりにソフトすぎので、1975年から長石を砕いた砂を混ぜて使用している」としか書いていません。それにしてもあの白さは美しい。

❖ 美しさの最後はあの“青空”。これは自然の青、恐らく濃い緑と白い砂に映し出される空はあのように青く見えるのだろう。そうそう、夏の砂浜が緑の背に囲まれて、真っ白な砂と海、その上に広がるあの青い大空と同じなのではないか。なんてことを考えながら今年の「マスターズ」を楽しんでいる。





ゴルフの「平均の法則」あるいは「平等公平」なもの、という不思議

ゴルフの「平均の法則」あるいは「平等公平」、
という不思議?!

❖ ゴルフ・プレーとは何と不思議なものなんだろうかと、思ったことはないだろうか。一日のプレーの中で、午前中はいい調子だが、午後になると急に悪くなる、ことをよく経験する。前回は好スコア、今回はゴルフを辞めたいほどということもある。

❖ ドライバーがよければアイアンが悪いとか、パットがいいと寄せダメという人もある。ドライバーからパットまで一貫してまあまあのプレーなど珍しいぐらいだ。これがアベレージ・ゴルファーの実力というものか、それとも宿命か!
        
 
❖ かつての名手“ボビー・ジョーンズ”は「長い目でみれば、結局“運”というものは、公平なものだ。」といっている。かの“ウォルター・ヘイゲン”も、この運不運の対処の仕方を身に付けていたとう。ある試合でヘイゲンの打ったボールが深いラフに転がり込んだ時、ギャラリーに「運が悪かったね」といわれた。すると平然として「ボールがラフにあるんだから、そこから打つだけのことよ」と答えたという。

❖ 全日本アマチュア選手権を6度も取った日本の聖球“中部銀次郎”は「不運が10回あれば幸運も10回はある。1年間をトータルしてみると平均して訪れてくるものだ」といって、この「平均の法則」に気づいてから動揺しなくまった、といっている。

❖ 我々アベレージ・ゴルファーも、プレーのアンバランスを心して取り組み、心の平静を保つ訓練を日頃から行っておきなさい、ということだろう。それにしても「平均の法則」とか「平等公平」とはよくいったものである。





飛び過ぎる“ボールとクラブ”に規制は必要か? これはプロの話です。

❖ 今年のWGCメキシコ選手権で、ダスティー・ジョンソンのドライバーが387ヤード・パー4のグリーンをオーバーした。2250mの高地にあるゴルフ場とはいえ、中継を見ていて「これは凄い!」と仰天した。今年1月の大会でも443yを1オンした。彼は飛ばし屋で有名だが、それを武器に2年連続ワールド・ランキング・1位である。さて、プロにおいて“ボールとクラブの飛び過ぎ”がこれでいいのか、という問題である。

❖ 正確性は別として、アベレージゴルファーから“ドライバーが300y近く飛び、ピッチングで150y飛んだよ”と自慢する話はよく聴くが、ボールが飛ぶということは誰もがショットに快感を覚える、1つの麻薬みたいなもので、アマチュアの楽しみの1つでもある。だが、プロゴルフの世界ではどうであろうか。プロのなかでも疑問を提起する人も多い。


❖ 先頃読んでいた「帝王ジャック・ニクラウス自伝」に、“飛ぶボール考”という章があり、飛ぶボールについて規制が必要ではないか、という主張が出ていた。今から30数年前からの主張だ。タイガー・ウッズも跳ばないボール推進派だ。R&A(イギリスのゴルフ協会)会長マーチン・スランバー氏は「現在の飛距離はゴルフにとって大変重要な問題で、決してボールだけではない。飛び過ぎることが問題だ」と。

❖ 我々ギャラリーから見ていて、パー4はドライバーの次はショートアイアンでバーディかパーを、パー5では2打で乗せてイーグルかバーディを取るのが現在だ。プロゴルフの面白さは、難コースを14本のクラブを巧みに操って攻めるその戦略やマネージメントに大きな期待があるはずだ。スコアを縮める技だけではないだろう。


❖ M・スランバー氏の「決してボールだけではない」という言葉が重要な意味を持つように思う。ゴルフ業界のなかで用具を生産している企業は、業界を支える極めて大きなポジションにある。広告宣伝をはじめ、男子、女子、シニアの各トーナメントのスポンサーとして支える一方、多くのプロ選手と契約し、莫大な契約金を払っている。そのメーカーが取り組む新製品の重要なポイントは「飛ぶ」ということである。

❖ アマチュアはともかく、プロが使う用具に規定を設けても一向に構わないと思うが、大きな問題として、ゴルフ・メーカーが納得するかどうかだろう。「飛ぶ」という「セールス・ポイント」に変わるものが見つけられるかどうか、大きな鍵を握るのではないか。ゴルフ業界が縮小している現在では、難しい要素が沢山含まれているように思う。(写真は既発売のパーゴルフ誌より)





ダイキンオーキッドレディスに見る今年の女子プロの行方!

ダイキンオーキッドレディスに見る
今年の女子プロの行方!!

❖ 今年のLPGAツアーがスタートした。どんな大会になるのか、今年の行方を占う好適なゲームとしてみていたが、今年も韓国勢のパワーに振り回される結果となった。イ・ミニョンの見事な優勝であったが、10位以内に韓国勢が5人もいるではないか。

❖ オーキッドレディスの10年を振り返ってみると、10人の優勝者の内7人までが外国人が占めている。韓国以外はテレサ・ルーの2年連続2回優勝とO.サタヤだけだ。2010年と2017年はアン・ソンジュ、ほか朴仁姫、イ・ミニョンとなっている。

❖ アメリカにおけるLPGAの成績も韓国選手の勢いは止まらないようだが、改めて韓国のプロゴルファーの強さに舌を巻いてしまう。アメリカのゴルフ界では、韓国に学ぼうという姿勢が取り沙汰されている。日本でも韓国研究を深く掘り下げて、実践に生かすシステムを考えてみてはどうであろうか。

❖ 全美貞は日本選手と韓国選手との違いを問われた時、興味深いことを話している。それは「韓国で教えられた順番とは違う」ことを感じたという。「日本のゴルファーはまず“ボールをどこにどう飛ばすか”ということ、それには“クラブにどう当てるか”ということを考えるんだな、って思ったという。

❖ 韓国では“ボールはどこへ飛ぼうが気にするな”まず、いいフォームづくりを優先して体に覚えさせるんだ”と言われてきた、と。もう一つ技術面でいうと、パッティングの巧さがあげられるだろう。2017年度のパッティング数では、ベストテンの半分は韓国選手。トップが申ジエ、3位が全美貞だ。

❖ こうした技術面で優れている背景に、単なる練習の積み重ねだけでなく、メンタル面が大きく影響しているのではないか、と感じるがどうであろう。韓国でトップ選手になるには、中学生高校生のころから国家代表選手、代表常備軍選手になることが大きな目標となっているという。

❖ これらの代表になるには全くの実力主義で、海外・国内での公式戦に点数が付けられていて、その獲得点数によって選抜されることになっているという。しかも入ったからと言ってアドバンテージがあるわけではない。したがって、どんな大会でも選手たちに緊張感があり、自然に競争心が誘発され、真剣度が増す仕組みになっているようだ。

❖ 技術面もさることながら、こうした試合に勝つという強いメンタルが、プレーの様々な面に磨きを掛けていくのだろう。国家代表、常備軍合宿のメニューの中に、ゴルフ理論、メンタル、マナーがある。韓国ゴルフ界を取材したスポーツライター愼武宏は著書で「韓国では国家代表を頂点としたサバイバル競争がジュニア時代から日常化されており、その熾烈な競争の中で揉まれ鍛えられるからこそ、韓国人ゴルファーはしぶとく勝負強い。韓国ゴルフの強さは、ジュニア時代からの熾烈な競争とそこで烈しくぶつかり合う向上心にある」と言っている。(愼武宏著「イ・ボミはなぜ強い?」より参照)